Public bath

8月ももうすぐ終わり。

危惧していた夏の生活も、想像していたよりはひどくなかったように思う。

喉元すぎれば・・・というものかもしれない。


暑い時期に一番困ることといえば、お風呂がないこと。

日中に汗をかいても、それをいつでもシャワーで洗い流せるわけではない。

それが一番きつかった。


午後2時過ぎに家の作業をすれば、どんなに控えめに動いても汗をかく。

2階での作業はちょっとしたサウナで行っているようなものだ。


夕方、日が沈んでから銭湯へでかける。



不思議なことに、文で表現していくと情緒あふれる夏の景色を想像してしまうのだが、

実際銭湯に向かっている際は、早く汗を洗い流してしまいたい気持ちでいっぱいで、状況を楽しむということはできなかった。

思い返せばキレイなイメージになってしまうのは、良くも悪くも思い出補正だろう。


そうこうしているうちに、銭湯に通う生活は1年を過ぎた。

割りと生活できている。悪くはない。

お風呂がないというのは不便といえば不便なのだが。



風呂に入らなくても死なない。と、庵野監督は言っている。

言われなくてもわかっていることだが、それを実践しているのは少数派だと思う。

やること、やりたいことが多いと時間が足りない。

生活に必要なことをしているだけでも割と時間を使うのだから、お風呂に入っている時間が惜しいという気持ちはわかる。


時間といえば・・・

数字が示す時間と、実際経過している時間が感覚的に違うのではないかとつくづく思う。

これについてはまた後日とする。



今日もまた銭湯へ。


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思考と実験の場

生まれた時からあって、何の疑問もなく暮らしてきた家。

家、生活、暮らし。ごく当たり前だったものを、住環境が変わったことで改めて考えるキッカケができました。

今までと同じ暮らし方をしていたら、そのまま過ごしていたと思います。

生活の中心となる家。暮らすとはどういうことなのか。生きること、その哲学とは。