KANAZAWA FILM FEST 2015

カナザワ映画祭2015のポスター
カナザワ映画祭2015

カナザワ映画祭に行ってきた。

地元石川県金沢市で行われているイベントにも関わらず、初参加だ。

 

今年の夏頃から映画館で映画を観だして、今ではこのようなイベントにも積極的に参加するに至る。

今まで映画というのはテレビができる前にできた映像表現をする場で、

今ならテレビやパソコンで映像作品を観れるのだし、あえてお金を払って映画館で見る必要はあるのかと映画館に対して否定的な考えでいた。


舞台は何度か観に行っていて、演者と観客の一体感のようなものが心地よかった。

舞台はライブなのでそういったものが得られるが、映画ではそれはないのではという思いもあった。


しかし、ラジオで批評家の話、主に町山さんや宇多丸さんの解説や批評を聞いたり、

実際に映画館で映画を観て、家でテレビで観るのとは違うなと感じ始めた。


視聴環境が違うのは言わずもがなだが、それに尽きるともいえる。

環境が違うが故に眼前の映像作品に没入できるのだ。それはとても大きな違いだといえる。

目の前いっぱいに広がるスクリーンと大音量。

そして、携帯電話やタブレットPCを扱うことを許さない空間。


私は出来る限り没入感を味わいたいので、可能な限り前の席に座るようにしている。

最前列で観たことはないのだが、大体3列目辺りの中央。

いつもチケットを買うときに、「前の方ですが大丈夫ですか」と聞かれるが、何の問題もない。


閑話休題 カナザワ映画祭の話。


ここで一番観たかったのは、宇多丸さんと高橋ヨシキさんのトークショーだ。

この2人を知ったのはほんの1ヶ月前で、その後にこんなイベントがあり、それを知ることができたのはとても運がいい。

しかし、イベントを知ってからすぐに行こうとはならず数日どうしようか迷っていたら、トークショーの前売り券が完売してしまった。

サイトをチェックした当日には前売り券を買えるページまで進んでいたのに、その日はそのままページを閉じてしまったのだ。


完売の知らせを見たときはやはり後悔した。

不思議なもので手に入りにくいものほど人は欲しくなる。

隣の芝生は青く見える。無いものねだりか。


当日券があるということだったが、それも整理券を配るかたちとなっていて買えるかどうかは運次第。

しかし少しでも可能性があるのならと、イベントに参加することにしたのだ。


イベントには2日目から参加した。宇多丸さんとヨシキさんのトークショーは翌日3日目。

3日目にはマッドマックスもやっているのでそれも見ようと思っていたが、2日目のこの日は知っている映画がない。

映画祭会場では、不穏な雰囲気のポスターがズラリと張り巡らされていた。

映画に関する本やパンフレット、ポスターなど、どれも時代を感じさせるものが並んでいた。

この日は平山夢明さんと牧野修さんのトークショーは観るとして、それだけでは味気ないので映画を1本みることにした。


「脱出」 監督:ジョンブアマン


サスペンス映画、ホラーでもあるのかもしれない。

映画の評価については検索すれば出てくるだろうことなので、ここでは割愛する。


平山さんと牧野さんは本番前の打合せで散々盛り上がり、ステージに行く前にはもう話しきってしまっていて何を語れば良いのか

という感じでトークショーは始まった。

トークショーの内容は、インドの話、田舎ホラーの話、インドの話、インドの話、といった感じ。

観終わった後は、気分が高揚したまま家路についた。



翌日のイベント2日目。いや、映画祭としては3日目なのだが、イベント参加としての2日目だ。

予定していた朝の電車に1本乗り遅れてしまった。

これが京都や大阪、まして東京であればそれほど大したことはない。

開始時間より1時間程も前に着く予定の電車に乗り遅れただけなのだから、次の電車を待っても余裕がある。


しかしここは違う。

この電車に乗り遅れたということは、次の電車はイベント開始ギリギリ。駅から歩いて5分前にたどり着けるかどうかというところ。

余裕をもって行くはずだったのに、ここまで時間を失うと焦る。

目的のトークショーの整理券も早めにもらうつもりだったのに、それもできなくなってしまった。


駅からの途中少し走って割りとギリギリで映画には間に合った。

もらった整理券の番号は29番。思っていたより数字は若いが、トークショーを観れるかどうかは不安だった。


とりあえず、まずは走ってきたために荒くなった呼吸を落ちつけ、映画に備える。


「マッドマックス」 監督:ジョージ・ミラー


8月に観に行った怒りのデスロードの1作目。爆音での上映だ。

最初のライオンが吠えるところからウルサイ。迫力はあるが。

あとでDVDで見返すとセリフというか、音声が出ているのに劇場では聞き取れなかったところがあった。

特に問題ないところだったのだが、初めは声がないのに字幕が進んでいて、ナレーションか何かがあるのかと思っていた。

爆音というだけあって音量がすごく、ふくらはぎのあたりがずっとプルプルと振動していた感じがした。

観終わった後は拍手が起きた。立ち上がった時はちょっとふらふらする感じすらあった。


トークショーまではあと映画1本分の時間があったので、金沢のまちを散策した。

とくにどこに行ったということでもないので特筆しない。トークショーを観れるかどうかが気掛かりだった。


トークショー10分前頃には、前売り券を持っている人と、整理券を持っている人の列ができていた。

並んでいる途中、高橋ヨシキさんを見ることができた。ほんの10数メートル先にいた。


入れるのかどうか気が気でなかったが、スタッフの方が全員は入れそうな雰囲気で話していた会話を聞いてちょっと安心した。

数分後、会場には無事に入ることができた。

しかも、立ち見覚悟だったのだが何とまだ席が僅かに残っており、座ることができた。


壇上に2人が登場した時は、イモータンジョーやV8の掛け声や、両手を合わせてV8エンジンを表現するマッドマックスの

ウォーボーイズのポーズをとる人が男人もいた。

トークショーは前日の平山さん、牧野さんのときと打って変わって、打合せは一切なかったよう。

宇多丸さんは直前までやっていた映画を観ていて、いつもどおりヨシキさんが何かを用意しているのだろうと思っていたし、

ヨシキさんはそんな宇多丸さんを見て、打合せも必要なく何かしらの準備ができているのだろうと、お互いがお互いを頼るカタチで

何の準備もないままスタートした。


内容は、マッドマックスから始まり、メル・ギブソン、アポカリプト弁護士の宇多丸さんによるアポカリプト解説、

グリーンインフェルノの話を少々、といった感じ。

最後には質問コーナーの時間もあった。


ライブで話を聞けてとても良かった。映画に対する熱量をすごく感じることができた。

壇上の2人からも、観客席からも。


映画祭はこの後も続いていたのだが、時間の都合上この2日間だけの参加となった。

マウス・オブ・マッドネスや、霧(ミスト白黒バージョン)も観たかったのだが。



映画についての解説や評論のように語っていることを見聞すると、最後には「ものをつくる人」にまで言葉が及ぶと思う。

それぐらい拡大される。実際映画にはものをつくるあらゆることが要求される。そこに惹かれているのかもしれない。


観ておきたい映画はまだまだたくさん残っている。


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生まれた時からあって、何の疑問もなく暮らしてきた家。

家、生活、暮らし。ごく当たり前だったものを、住環境が変わったことで改めて考えるキッカケができました。

今までと同じ暮らし方をしていたら、そのまま過ごしていたと思います。

生活の中心となる家。暮らすとはどういうことなのか。生きること、その哲学とは。